ディアポスライムオンライン*1
手を見ていると皮膚が少し粘液じみてきているのが分かった。その上、薄緑に変色しはじめていた。もう一方の手の指で手の甲を押すと、皮膚の表面約3ミリがぶよぶよと奇妙な粘性の豆腐のように崩れた。自分の体を見下ろしてみると視界全体が溶け始めているかのようにも思えたが、実際はとろけているのは自分の裸体だけで、背景は硬い岩の洞窟の地面だ。
骨まで溶ける様な(JASRAG:35557369)、まさにそのとおりで、実際骨の髄から、そう内側からも、溶けているのだと分かった。脚はとっくに崩れだしていて、バランスを取るのに失敗してついに前のめりに倒れた。倒れながら伸ばした手もグチャリと地面で飛散した。顔面もグチャって、鼻とその周りの骨が潰れ、目玉がコーンから落としてしまったアイスクリームのように白と薄緑色のつぶれた球になった。
あれ? なぜ自分の目玉を見ているのだ? と少し疑問に感じたが、それよりもこのとろけ具合が最高だと感じていた。
やがて俺は緑の粘液体になった。目玉は無いが360度の視界があった。
奇妙な音楽に乗せて通信の声が聞える。
「どうもはじめまして。新入りさん」
俺はいきなり何か話しかけられるとは思っていなかったのですこし戸惑ったが、とりあえず
「はじめまして。えーと」俺はその通信のタグを見て、「シュガトロさん? 皆さんどこにいるんです?」
「溜まり場です。私は案内役ってとこです。ホズカイスルさん、よろしくです」
「ああ……よろしくおねがいします」
周りを見ると、洞窟の袋小路が緑の光に照らされているといった感じだった。そしてすぐに緑の光源は自分だとわかった。しかしとりあえずどこへ行けばいいんだ? と聞こうとしたらシュガトロという名前らしき何者かが、
「洞窟を進めばホールに着きますんでそこで飛び込んでください」
とメッセージを送ってきた。飛び込む? よくわからなかったが、俺は洞窟内を照らしながら進んでいった。
ねじれた通路を進んでいくと前方に緑の光が見え出した。そこがホール(広間)のようだ。
ホールは緑の光に満たされていた。そしてその光を発している緑の粘液にも満たされていた。洞窟の中の1つの部屋が緑の水泳プールになっているかのようだった。
これが「皆さん」か。とりあえず挨拶すべきだと考え、
「こんにちははじめまして」と通信を発した。
「新入りウマー」「はじまらっ‥‥」「つーかくんいる?」「とりあえずかかってこいや」「こうしてオマエは全てにしてひとつのものを見つけた」「tanasinn」「いや全然何もtanasinnじゃないだろ」
といったようなノイズがどっと俺に流れ込んできた。なんだこりゃ。単なる厨房共同観境じゃねーか? 失望した。
「とりあえずインしといてよ。もう引き返せないし」とシュガトロからのハイプライオリティメッセージが点滅した。
「イン?」もうオンラインなんじゃないの?
「合体ってこと。プールに飛び込めばわかるです。何度も言うけど引き返せないから、独りでいてウザがられてもなにしても、得することは無いですよ? まあそのへんのウザがられも、ある意味スライムには面白いって意見もあるにはあるんですけどね。どっちにしろ数キロタウで強制合体ですし、早めに飛び込んでしまうのがオススメです」
OK、わかったわかった。とりあえず飛び込んでみるか。どうとでもなれ。
俺は飛び込んだ。
濁流だった。情報、思考、知識欲、情報、らくがき、tanasinn、情報、情報……そして俺は1つのものになった。
スライムは侵略する。ながれこんで飲み込み、肥大する。人物や情報に触れれば、それに感染し、溶かし、スライムの一部にする。スライムは、全てのログを持っている。今まで取り込んでスライム化した全ての人物や情報のログだ。いまや俺とスライムは同一だ。俺には全てのログがある。スライムのログであり、つまりは俺のログでもあるのだ。
スライムはときどき尖兵を出し、人々を感染させ、次々にスライム化する。俺のように自ら好奇心で自分のクローンをスライムに送り込むものもいる。最初はスライムのほとんど全ては、俺のような好奇心からのクローンによって形成されていたが、いまではスライムの尖兵が感染させたり飲み込んだりして集めた肥大化部分の方が多いようだ。
スライムは、とにかく肥大化することだけを目的に動いていた。この世の全てをスライムにすることが、スライムにとっての全てなのだ。この世の全ての人物、情報を。それはもはや成功にまで近づいている。
スライムの外からは、まったスライムの中身が見えない。スライムから密かに少量発信されるメッセージはあるが、スライムの完全な中身は、スライムと同一化して初めて見ることができるのだ。
俺はここに来るまでそんなことは全く知らなかったのだが。スライムからの通信やスライムからの情報というのは普通の紳士的な共同観境でも頻繁に目撃していたが、スライムという存在があるらしい、ということしか知らず、たいした興味も無かったのだ。
しかし、スライム発だというあの音楽を見てしまったのが運の尽きだったようだ。アレックスからのメッセージの、米酒ってあのスライムメッセージのパクリだろ? という話からだ。考えてみればアレックスという人物もスライムの一部だったのかもしれない。
スライムはクローン元の自分自身をも感染させようとしている。このところ行方不明者がどんどん増えているのは、クローン元、つまり個々人のバックアップの全データを、スライムが飲み込み、そう、バックアップの全てをスライム化し、亡き者にしているのだ。正確に言えばスライムの中に生きているともいえるが、その人物はすなわち肉体を完全に失ったグリーンスライム、「全てにしてひとつのもの」としか形容できないものとしてしか存在しておらず、もはや「個人」の区別は無くなっている。
しかし、今現在、スライムには突然終末が訪れようとしている。スライムという存在が一般市民にも知れ渡り、個人を次々に消滅させていることが問題になり、スライム焼きプログラムが行われるというものだ。このすばらしいスライムを焼き払おうというのだ。まあバックアップをも削除させるほどに市民を狂わすスライムには、法的に考えて有罪だということになったのだろう。
もちろんスライムはこれに大反発した。実際のところは、スライム化した元市民の人数と、現在の反スライム市民の人数では、スライム側のほうが勝っていたはずだ。しかしもはやスライムは完全に包囲されている。スライム加入者の個々人だった者たちは誰1人としてバックアップのクローン元を残していない。すばらしいスライムとして永遠に生き続けるつもりだったのだ。あと3キロタウ後には彼らの存在も含めた全てが焼かれてしまうのだ。
スライムは、そう、俺は、焼かれてしまう。全てにして「1つのもの」が焼かれてしまう。1引く1はゼロだ。
だが、スライムは全てにして1つではなかった。全てにして「2つ」なのだ。スライムの実体といえる要素はまさに全体に及んでいたので簡単に包囲されてしまったが、のこり1つの、裏スライムとでも言うべき存在があり、案内役という役目で巧妙に隠れながら<音楽の神(ベス)>として密かにプールと隔絶しつつ君臨していたので、その部分は焼き払われずに済みそうなのだ。
☆☆☆☆☆☆
というわけで生き残るであろうベスのシュガトロさんに、スライムからの発信制限ギリギリでこの「スライムの興亡概略」を遺書として置いておきます。わかりずらい文章ですみませんねェ。
そうだなー。コカラゲあたりにアップロードしといてください。