イデアは不変であるか

ヒマなときには「イデアは不変であるか」についてなど考えている。
イデアは不変なのだろうか? どうだろうか?
それはおいといて、まず重要なのは「イデアは不変であるか?」という疑問文が存在するという事実である。ここに、イデアというのはおそらく不変だともみえるしもしかしたら不変じゃないかもしれないとわざわざ人にきく考えが読み取れる。イデアというのが何なのかのヒントがそこにあるわけだ。不変かどうか瞬時にはわからないモノであるゆえそのような「不変であるか?」というお題があるわけだ。
さてイデアとはなんなのだろうか? 不変のようにも不変で無いようにも見えるもののようだが? 不変なものについてそれを探ると、まずそのように永久に不変なものなどは物理的にはないことに気付ける(宇宙を外から見ると有限だろうし、永久に続く円周率の数列中になますてまそを含む全ての情報が入っているがそれを自在に取り出すことはできない)。永久および不変は抽象的な概念に過ぎない。となると、イデアというのは抽象的な概念かもしれない。しかし不変でないかどうかが疑問なのだから抽象的な不変および永久を安易に当てはめられないモノを指しているとも考えられる。
そのような考えによると「イデア」というのは物理的なものと抽象的なものどちらにもとれる全く何かわからない不可解なものだとしておけば話が通じてしまうかもしれない。
以上が「イデアは不変であるか」について考えた結果だ。