コカラゲ・メモリー

「ヤマさん、それ、何書いてるんです?」
いつも思ってたんですけど、そう、見て見ぬ振りしてたとこもありますけど、と36歳の新人(ノービス)ホームレス、童顔のムラさんは、もう60歳を超えていると自称する戦傷(ベテラン)老人らしきホームレス、ヤマさんにたずねた。
ムラさんは約1ヶ月まえから公園に“入会”し、いろんな人のテントを回って寝かせてもらっている。ヤマさんとはほとんど喋ったことがなく、昨日このテントに来たばかりだ。脚のあぐらのかき方を微妙に変える。
ヤマさんはミカンの箱の上においた手をやすめ、シャーペンを置き、一瞬テントの1.2メートルの高さもない天井に目をやり、
「見りゃわかるだろ。『字』だよ」
とこたえた。
「そりゃ、字だなぁ……まあ言いたくないんならいいです。いいですよ。日記なんかは人によませるもんじゃあないですし」
もちろん、ムラさんは、ヤマさんがその箱の上で何十枚も書いている、英語か何かの文字列の内容について訊いたつもりだった。文字がびっしり印刷された紙も多くあり、それに混じって白紙にシャーペンで書いた紙などが混ざっている。日記などではないはずだ。
本当はもっとヤマさん自身一人語りをしたがっているはずだ。しかし、やはりそのとおりで、ヤマさんには、やっとたずねてくれたか、という思いもあったようだ。
「何だと思う? この意味不明なアルファベットと記号の並びが」
「いやー、わからんです。英語か数学の式? 『ゼロ、引く、大なり、ケー、イコール、ゼロ』……数学でこんなのありましたっけ?」
かんたんに教えてくれますか、とムラさんは乞った。
「ゲームなんだよ」
「ゲームっていうと、パズルゲームみたいな? 数学パズルゲーム? 私も昔ナンクロってやつ……知ってます?」
とムラさんは箱の上の紙を一枚手にとってしげしげとながめる。「よくやってましたよ。寝る前とか。でもなんか全然違って複雑に見えますけど」
「ソースリストだ。コンピュータの。コンピュータゲームの」
「ああ、あの、プログラムってやつですか」
「そうだ」
「ええと、じゃあその紙の束をコンピューターに読み込ませるとテレビゲームが出来るんですか?」
「いや……」メンドイな。説明するのは。「まあ、読み込ませるとゲームになる。だが、これをまずキーボードで打ち込んで文字列にして、それをプログラムで読み込んで吐き出されるプログラムが、ゲーム。紙が直接ファミコンカセットやCDROMの代わりになるわけじゃあないよ」
「なるほど。まあゲームの“おおもと”ってわけですね」
そういいながらムラさんがテントの入り口のワキに置いた自分の陶器の湯飲みに手をやると、突然
「こんちはー。もうキャラセレできた−?」
湯のみが置かれたコンクリートブロックのとなりに、紺のニーソックスの脚が現れて、“じょしこうせい”の声がその脚の上のほうからムラさんを驚かせた。
「ああ、できたよ」ヤマさんは“こんにちは”とは言わず、そうこたえた。
女子高生はおどろくムラさんをわざと無視するかのように、
「じゃあ次は自弾と敵の当たり判定の調整だっけ?」
「そうだな。でもまあキャラセレだけでアゲとくよ今日は」
ヤマさんは手元の紙の束をざっと見ると少しだけシャーペンを動かすと、
「自弾はコメントアウトしとこう」ここからここは書かなくていいからってことで、と女子高生に指示らしきものを出し、さっと紙の束を手渡した。
「はい、たしかに受け取りました。じゃ、また明日くるね。バイバーイ」女子高生は世間話もせず、ムラさんにも関せず、
「じゃあ、また明日な」というヤマさんの声を背後に、さっさと紙の束を鞄に入れながら、トコトコと去っていってしまった。
ムラさんはビビリ状態だ。
「な……誰? あ、ヤマさんのお孫さんですか?」
「違う」
「じゃあ娘さん? いや親戚の?」
「違う」
「それじゃ……なんの知り合い?」
ヤマさんはあまり言いたくなさそうな仕草をし、しかしこたえた。
「ネットの知り合いだよ。もっとも今では俺は全然ネットがどうなってるかほとんど知らんがね」
「ネット? インターネット?」ヤマさんはうなずく。「電車男とかいう本がでてたけどあれみたいな?(ムラさん)」
「そうだよ。インターネット」
どうする? ネット上の話をこの絶望的なリアル世界で話すべきか? ヤマさんは逡巡する。
そして、
「ゲーム作りのホームページをやってたんだよ。昔な。もう5年以上前のことだ。それで最近また5年以上ぶりにネットと関わり始めた」
「ええ?」ムラさんは混乱した。そしてこの老人に付き合うのはバカのすることかもしれないな、でも一応友好的に行こうと考えた。「でもそれじゃ、今来た女子高生(?)は何なんです?」
「あの子は『佐藤トトロ』」
「あー」ムラさんは「いやよくわかんないですけど」
「俺は『アホドゥル・アメマザード』。ハンドルネームってやつだよ。電車男掲示板では『電車男』って呼ばれてるやつの、さ、その呼び名のことだ」
ヤマさんは火がついてしまったかのように続けた。
「他には『コカラゲ』っていう協力者がいる。『シュガトロ』と『コカラゲ』でコンビを組んでサイト……ホームページってやつだな、ホームページをやってる。ああ、『シュガトロ』はさっきの『佐藤トトロ』の別名な。『コカラゲ』も『シュガトロ』もほとんど絵のスキルもCプログラミングのスキルも全然駄目なレベルなんだがな。『コカラゲ』はかなりのDQNで4行以上コードを書くと眠くなるとか言ってる。らしい」
「はあ……」ドキュンってなんだろ?
「そこにゲーム作りの協力者が現れたわけだ。この俺がな。絵のほうは『シュガトロ』が今すこし練習中らしいが、それでも全然駄目で、素材を作ってるサイトのを全体的に使ってる。この」
といってヤマさんは箱の下から一枚のプリントされた絵を取り出す。
「ドット絵だ。なかなかのレベルなわけだよ。使わない手は無い。俺や『コカラゲ』が目指すところのゲームにうってつけだなってね」
ヤマさんはそこで「あー」とか「なるほどー」とか相槌を打ちながらもよくわかってない様子のムラさんの様子に気が付き、
「……すまん。忘れてくれ。リアルでネットのことを話すべきじゃあないな」
だが、ムラさんは
「いやよくわかんないですけど」と言いつつも、「どうやってその、“今の話のインターネット”にアクセスしたんです? 私はその、ネットとかコンピューターとか、会社のコンピューターではメール受信と返信しか使えないように制限されてたんで、詳しくなくて、よくわかんないんですけど」テントの中を見回して「ここ、コンピューターなんかないですよね? 携帯電話ももちろんのこと」
「ネット喫茶だよ」ヤマさんは、3ヶ月ほど前から、ゴミ雑誌を100円で売って貯めた金で月に1,2回30分ずつだけ公園近くのネット喫茶でネット端末を弄った、という話、USBメモリを拾得物横領して空だったそれに自作ゲームを入れてみたくなった話、ネット喫茶での一回目のネットへのアクセスで“ここの公園の住所”と“ゲームの件”を記したことを話した。
「ええ!? じゃあ、ネットで見て、その書き込みを見て、この公園にあの女子高生なんかが来たんですか?」
「もちろん、ネットに載せるときは、ある種のジャーゴン、ああ内輪ネタってやつ、を知らないと見れないようにしといたがね」ヤマさんは自分の金属マグカップの水道水をすすった。
「『絶対釣りだ』とか『ホームレスならどう晒し挙げてもいいとでも思ってるのか?』って言われてたらしいよ。でも、『シュガトロ』とその友達2人の、3人の女子高生達は、ここをつきとめたうえ、好奇心旺盛にも、現れた。そんで、俺はUSBメモリと紙に書いたソースリストを渡したわけだ。せっかくだから」
「女子高生にあの、ソースリスト(?)がわかるんですか?」
「『コカラゲ』ってやつが判るらしいから、そいつに画像をスキャンしてメールで送って、プログラムの形にしてもらってる。らしい。この前ネット喫茶で見たらちゃんと動いてるっぽかったからな。画面写真数枚しかなかったから確定ではないのがアレだが」
「それで、そのゲームつくってどう売るんです?」
「売らないよ。タダで、無料で、配る。ネット上でね」
「タダで?」ムラさんは、もったいないじゃないですか、とか、ゲーム作れるなら仕事になるんじゃないですか、とかヤマさんに疑問を投げつけた。
「タダでいいんだ。『プレイしてもらうために作る』。それが理由なんだ。岸部露伴も『読んでもらうためだけにマンガを描いている』って言ってただろ? わかるやつには十分すぎるほどわかる理由なんだがね」
「そうですか……」キシベロハンて誰だ?
「まあ、ほとんど『練習作品』ってレベルなんだけどね、俺のような日曜プログラマが作れるレベルのは。商売にできない本当の理由は“レベルが低いから”だな、正直」
ヤマさんはマグカップの水道水を飲み干し、
「世界を征服したいと思ったことは?」
「はい?」突然何を言い出す? ついにくるったの?
「自分の作ったものが世界中の計算機上で動くんだよ。そして、人々がそのゲームと対戦する。打ち負かそうとする。俺の作ったものを。いわばロボット兵を大量生産して世界の人々を相手に戦争をしかける大魔王になるようなもんだ。そして、そのゲームに勝ったり、勝とうとした人が、幸せを感じられる、平和そのものな戦争だ。平和の大魔王ってとこだな。ウィッチキングオブピース。NetHackってゲームがソースコードつきで配布されてるが、あれなんか本気で世界征服に成功した例だとつくづく思うよ。まあ俺の力を考えると大魔王なんてのは無理で、せいぜい『怪人クモウサギ男』ってとこだろうな。まあそれでもある意味平和な戦争がさ、起こせたら、うれしいから」
「はあ……」ムラさんの反応はにぶい。
「やっぱネットの話をすべきじゃあないなあ。リアルでは。あ、『リアル』ってのもネット用語か」