魔城ガッデム

『PUNISHER』
「整合性」なんてもう明示的にお断りされているし、「中二病という批判だけで楽しめなくなる・あるいは本気で痛がって嘲笑する見かた」も意味がないと同様にお断りされている。
『ソードブレイカー』
あの「ロック・ファンタジー」という肯定的ラベリングはどういうわけかクソマンガ読みどもに大きく受け入れられ、本当の楽しさがそこにあった。すぐ打ち切られたけど。
「幻魔剣(ブレゾード)!」
「雷覇斬(ジグザン) !」
「雷覇撃(ジグレード)!」
「魔城『ガッデム』」
なんと聞こえのいい言葉か――!!
誰が「魔城『ガッデム』」が痛すぎるなどと批判するだろうか。
真面目に批判するやつのほうが異常だ。
それくらい異常な「ロック・ファンタジー」だった。
結局あのロック・ファンタジーはどういう仕組みだったのか私には言葉で説明できないが、
その仕組みのコアが発する圧倒的なエネルギー、
あのときは鬼畜と魔城『ガッデム』と輝く正義の感動としてあらわれたエネルギー、
受け止めるべきエネルギーはそういう類のものだ。
『PUNISHER』
上記冒頭のような(完全にお断りされている部分への)批判はモテカワスリムの最新流行かもしれないが、
この漫画を楽しむという点においては全く意味がない。
承ることをお断りし続ける人々にも、ついに“不覚にも承る”ときがいつかは訪れ、そこで今までの批判は意味がなく、最初からお断りされていたものだったと気が付く。
そのときになって最初の期待のしかたの馬鹿らしさ、くだらない批判をしたことへの後悔とともに、
またもうひとつあらわれた新しい種類の「×××××・ファンタジー」を承って味わうのだ。
そういう幻視をした。
しかし今週の木曜とか来週の木曜になったらどうだかわからない。