5年

雑誌「アンゲームウィークリー」の編集者は直接的に訊ねた。「あなたが『ザヒウヅエ卿と失われた王国』の作者のコカラゲ・マルコさんですね?」
「あれはレベッカ・フォツォ氏の作ったものです」
「あなたは『ザヒウヅエ卿』のデバッグコマンドについて書いていましたよね? フォツォ氏は「誰にもテストプレイやデバッグを頼まず一人で作った」と言っていますよね。フォツォ氏が本当のことを言っているのなら、常識的に解析不能なあのコマンドをどうやって知ったのですか?」
「フォツォ氏に教わったのです」
編集者は先ほどの質問をさらに直接的にしてみた。「そうですか……ではあなたが答えていないところを聞きましょう。レベッカ・フォツォはあなたですか?」
「そうかもしれません」
ミスター・コカラゲ・マルコ=フォツォは彼独特の(あるいは優柔不断な者によくある風な)答え方をしつつ、そのような直接的な質問に答える形で、認めた(彼はウソをついていない。「フォツォ氏の作ったものだ」というのは本当だし、デバッグコマンドを「フォツォ氏(自分自身である)に教わった」のも本当だととれるのだ)。
編集者は作者であるミスター・コカラゲ・マルコ=フォツォを説得した。
曰く、携帯ゲーム機プレイパームに今の作りかけのあなたのゲームを移植してみないか。つまり新作をプレイパームで公開するものとして作ってくれないか。開発中のスクリーンショットと前作はそれに充分足りるのだ。
ミスター・コカラゲ・マルコ=フォツォは「そんな馬鹿げた大きな話がくるはずがない、からかうな、誰かと間違えているのだろう」と否定的に見ていた。
しかし、彼は優柔不断であり、他人の強い説得には極度に流されやすかった。
ついには「30ヶ月で作れます」と編集者の説得に倒されてしまった。
編集者は恐るべき速さであり、その18日後発売の雑誌には「本誌プロデュース! 『ザヒウヅエ卿と失われた王国』の続編制作決定!」との14行の記事が載ってしまった。
作者は雑誌を見たとき、狂喜する前に、大いに慌てた。30ヶ月と言ったのにその発売日が「初夏」となっている。この冬から5ヶ月かけて作ってもまず間違いなく「初夏」の締め切りがやってきてしまう。
だがやることは決まった。
「5ヶ月」と追い立てられれば確かにやる気が出てくるというのもある。
こうなったら世界最高のゲームを作るまでだ。雑誌社が出したすでにかなり固まっているアイデアのラフスケッチは悪くないと思えたどころか、最高にも思えたのだ。
彼は作業に取り掛かった。
1ヶ月ほどでシステム基盤を(前作を参考に)組んだ。その頃には、本誌プロデュースなどと言いながら、どうも編集部はたいしてやる気がないようだった。やる気がないように見えるのは、編集部は作者からは信じがたいほどに忙しく、また他の大きなプロジェクトも大量にあるせいだろうと、作者は思った。
作者は大いなる熱量でコードを書き続けた。
5ヶ月が経った。
初夏だ。
しかし、これは当然のことなのだが、まだ完成には程遠かった。「本当に1人で全てをやっている」からだ。編集部は最初のラフスケッチと4往復の打ち合わせメールしかやっていないのだし。デバッグもテストプレイもまともに出来てはいない。
ゲームの公開は延期となった。作者コカラゲ・マルコ=フォツォはいつものように敗北者であり、謝罪を繰り返し、ブログは閉鎖された。開発開始の後、開発について誰も話題にしなかったのだが、延期のことも誰も話題にしなかった。
しかし無期限の延期は作者と彼の新作ゲームのクオリティには良いことだった。
5年が経った。
その間、メールによる打ち合わせはなんと2往復もあり、直接の電話やリアルで面と向かっての打ち合わせは0回だった。
彼はしかし、5年かけて作った彼の新作を極度の覚醒状態で編集部に渡した。
「おめでとうございます!」
というメールが編集部から作者に届き、作者は彼の世界最高のゲームが編集部を喜ばせてチェックされる、その反応を待った。
1週間待った。
「ゲーム『ザヒウヅエ卿と王国の分裂』について」
というメールが編集部から作者に届いた。
作者は恐ろしくて読むことが出来ない状態で半日ほどうろうろと古本屋などをさまよってから、意を決してメールを開いた。
「まことに残念なお知らせです。
 編集部での話し合いの結果、このゲームは
 

その後を読んでいくと、作者は彼の体を構成する霊体部分が崩壊したと、感じた。
彼は発狂して首を吊った。
1週間後に代金引換の本を届けにきた通販の運送業者が死体を発見した。
編集部は葬式に来なかった。
しかし、彼の友人の中では一人だけが葬式に来た。彼はコカラゲ・マルコの兄、トム・マルコである。兄だというのは本当だし、友人だというのも本当である。
兄は弟コカラゲが首を吊った理由を直接聞いたただ一人の人間だった。
ゲームをさらに調整するという道があったはずなのに、弟コカラゲはそのときの否定の最大風速で粉みじんに打ちのめされてしまった。
弟コカラゲは、弱かった。
だが兄トムは落ち着いた人間であった。即座にその理由を公表することはなかった。親族の誰にも言わなかったし、誰にも、編集部にも、死の呪いほどのそのいきどおりを、今すぐに公表すべきではないと判断した。
そして兄トム・マルコは、弟コカラゲのように正直ではなく、ウソを平気で吐ける人間だった。