松尾バションボリ

「俳句ですって!? 井戸水一杯につき一句?」
お銀はこの忙しいのに冗談には付き合っていられないということを、そう怒鳴ることで示した。
「まあまあ落ち着いて。ちょっとした遊びなんだし、別にちゃんとした俳句じゃなくてもいいんですよ……多分」
お銀住む長屋の大家がそうお銀を静めようとした。しかしコレを企画した地主が出てきて、
「いやいや、俳句なら『なんでもいい』ってのは確かだけど『どうでもいい』って気持ちでは困るね。とりあえず俳句として成り立ったのにしてくれないと。1人が超テキトーで済ませちゃったら皆が超テキトーでいいやってなっちゃうでしょ。だから、ね。文化的生活のためっていうのかな、忙しい中にも風流を取り入れるべきなのは誰も反対せんでしょ。生活の中のちょっとした時間にこういう遊びに頭をつかうのも悪くないでしょ」
お銀は、自分が冗談の分からない人間だ、と表明してしまうのを気にすることもなく
「そんなことに頭を悩ますには忙しすぎるんですよ。文化だってのなら私は私の仕事の範疇で文化的な生活をしますよ。桶一杯の水のため一句だなんてのもヒドイ。ウチの仕事にどれだけ水が必要か考えたら、これはワタシに俳人になれっていうのと変わらないですわよ!?」お銀はそう地主に食って掛かった。そして同時に八つ当たりの蹴りを井戸のつるべを吊るしている柱にくらわせた。ぐわぁん。
地主はその迫力に「と、殺(と)られる‥‥!?」とビビリ、「じゃ、じゃあ、一日一句でいいですよ」
お銀は地主を睨んだ。「ひと月」
「はい? ああ、一月に一句ですね、いいですよ。どうぞどうぞ」地主はすっかり腰が引けてしまった。
お銀は、ふうとため息をつき、じゃあ超テキトーでもいいですよね? おもむろによみあげた。
「古池や 岩にしみいる やらないか」
とてもいい句であると言えよう。なにしろ、誰にも意味が分からないのに、そこには必死な不味さともいうべき奇妙な寒い印象があるのだから。寒いものがあるから暖かみを暖かく感じられるのだし。だからどうした。
「銀が必死俳句ヶ井戸」完。
一応:google:銀河ヒッチハイクガイド